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江戸町奉行は、寺社奉行、勘定奉行とともに徳川幕府の三奉行のひとつだった。その職掌は、江戸府内の行政・司法・警察など多方面に及び、定員2名で南北両奉行に分かれ月番で交代に執務していた。名奉行大岡越前守忠相は、享保2年(1717)から元文元年(1736)にかけて南町奉行としてここで執務をしていた。
南町奉行所は、宝永4年(1707)に常盤橋門内から数寄屋橋門内に移転し、幕末までこの地にあった。その範囲は、有楽町駅および東側街区一帯にあたり、平成17年(2005)の発掘調査では、奉行所表門に面した下水溝や役所内に設けられた井戸、土蔵などが発見された。また、「大岡越前守御屋敷」と墨書きされた荷札も出土した。
再開発事業では、石組下水溝の一部をここに再現するとともに、石材を事業所内でベンチなどに活用している。 |
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