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江戸時代、このあたりは学問(儒学)の府であった聖堂(孔子廟)の一部、昌平坂学問所(昌平黌:しょうへいこう)があったところである。
寛政9年(1797)学問所の学寮、宿舎が建てられ、旗本や藩士の子弟を対象とした教育が施された。
明治維新後、学問所は新政府に引き継がれ、昌平学校、大学校、東京大学と発展していった。
明治4年(1871)に文部省が設置され、我が国の近代教育の原点となる施策が展開されることになった。当地には明治5年、師範学校(翌年、東京師範学校と改称)が開校し、その後、隣接地に東京女子師範学校が置かれた。
東京高等師範学校は明治36年(1903)に大塚窪町に移転し、後に東京教育大学(現筑波大学)となり、東京女子高等師範学校は昭和7年(1932)に大塚に移転し、後に新制大学としての発足の折、この場所の地名を校名に冠し、お茶の水女子大学と称し現在に至っている。 |
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