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同志社大学良心館地点の発掘調査(2010〜2012)では、中世の相国寺に関わる遺構が数多く見つかった。京都五山の禅寺の室町〜戦国時代の遺構が大規模にみつかることは稀です。ここには、みつかった遺構の一部を移築・復元している。
創建(1382)から間もない時期の相国寺の水路の東岸の一部には、石垣が設けられていた。出土土器からみて、この石垣は15世紀頃つくられたようです。一辺1.5mをこえる巨石が組み上げられていて、緑色・青色の庭石が転用されたと考えられる。水路際の建物の基礎周りにつくられた石垣です。
儀礼・仏事を行う建物と石垣をもつ水路が組み合わされて庭のような壮麗な景観がつくられていたと考えられる。出土した巨石を移築して、発見された時のままに移築復元した。500年前の京の寺院の一部がよみがえる。 |
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相国寺法堂。法堂は僧侶が仏教を講義する建物のことで、この法堂は、豊臣秀頼によって再建されたものです。 |
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