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<藤文> 日坂最後の問屋役を務めた伊藤文七邸
商家で屋号は藤文。
伊藤文七は(号は文陰)翁は安政3年(1856)に日坂宿年寄役となり、万延元年(1860)から慶応3年(1867)にかけて日坂宿最後の問屋役を務めた。
維新後の明治4年(1871)には、日坂宿他27ヶ村の副戸長に任ぜらた。
その間、幕府の長州征討に50両を献金、明治維新の時は官軍の進発費として200両を寄付している。
明治4年(1871)の郵便制度開始と同時に郵便取扱所を自宅・藤文に開設、取扱役(局長)に任ぜられた。日本最初の郵便局の一つと云われている。
その孫、伊藤文一郎氏は明治37年(1904)から39年(1906)、大正6年(1917)から8年(1919)、昭和3年(1928)と3期にわたり日坂村村長を務め、当時珍しいガソリン式消防ポンプを村に、世界一周旅行記念として大地球儀を小学校に寄贈するなど村の発展や村民の国際意識啓発に尽力した。
明治9年(1876)11月には昭憲皇太后、翌10年(1877)1月には英照皇太后が日坂宿御通過の時、ここで御休憩なされた。 |
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この建物は藤文部分が江戸末期、かえで屋部分が明治初期に建てられたもので、修復された倉は当時何棟かあったと云われているうちの一棟です。
この土地家屋は平成10年(1998)に文七翁の曾孫伊藤奈良子さんの遺志により掛川市に寄贈された。
文久2年(1862)の宿内軒並取調書上帳では今の伊藤家は藤文・かえで屋に分かれていた。 |
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