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浅見家は幕末三代にわたって大庄屋をつとめ、岩村藩の政治・財政に盡力した。先祖は松平家乗(いえのり)が慶長6年(1601)に上州那和(群馬県高崎市)から岩村城主とし転封したとき、御用達職として共に岩村に来た。
八代政意のとき大庄屋兼問屋職となり、九代為俊のとき苗字帯刀を許された。浅見家は岩村藩が宝暦9年(1759)に郡上騒動による郡上八幡城請取の役を命じられたときに軍用金を調達したり、領下の困窮者に籾米を施したり、江戸藩邸の類焼に多額の金品を送るなど木村氏と共に岩村藩を支えた。
十代与一右衛門は大井━岩村間に難大事を克服し明治39年に全国7番目の電車を開通させ、県会議長、衆議院議員として大いに活躍した。 |
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