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磯の御殿は、万治元年(1658)、19代島津光久が御仮屋を建てたのが始まりとされている。その後、屋敷の南側に一亭を構え、落成の日に鶴が亭前に舞い降りたことから、喜鶴亭(きかくてい)と名付けられた。以後、この御殿は島津家の別邸として使用されてきた。
明治4年には、廃藩置県が行われ、島津家の居城であった鶴丸城が島津家の手を離れたため、島津家の鹿児島での生活の場は磯に移った。そして、明治17年(1884)には、磯の御殿は大規模な改築を行い、その改築の費用は当時のお金で、3535円21銭6厘だっとという。明治21年(1888)には、29代島津忠義がこの御殿に住み、一時本邸として使用されていた。
現存する建物は明治17年の約二分の一で、25部屋余りとなっている。庭園に面した部分は、当時当主であった忠義が使用していた部屋で、寝室、居間、謁見の間など8部屋余りからなっている。 |
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