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<旧乃木邸> 東京都港区指定文化財 有形文化財
旧乃木邸は、明治35年(1902)に新築されたもので、乃木希典大将夫妻が大正元年(1912)9月13日、明治天皇大葬の日、明治天皇に従って殉死するまでここに住んでいた。将軍が、ドイツ留学中に見たフランス軍隊の建物を模範にして建てたというもので、明治期の洋風建築が接客を目的とする豪華な建物か、和風住宅に洋風の応接間を付属させたものが多いのに比べこの邸宅は、軍人の家らしく、飾り気がなく簡素で合理的に作られている。建坪は168u、木造平家建、日本瓦葺で、傾斜地を巧みに利用し、建物全体に半地下構造をもつ。
<瘞血之處>(えいけつのところ)
殉死された時の血のついた物を埋めるところ
<乃木大将と辻占売少年像>
今に伝えられる「乃木大将と辻占売りの少年」の話は、明治24年(1891)、乃木希典が陸軍少将の時代、用務で金沢を訪れた折りのことです。希典は金沢で偶然、当時8歳の今越清三郎少年に出会います。今越少年は、辻占売りを営みながら一家の生計を支えていた。この姿に感銘を受けた希典は、少年を励まし、金弐円を手渡した。今越少年はこの恩を忘れることなく、努力を重ね、金箔業の世界では大きな実績を積み上げた。
この銅像は、こうした乃木希典の人となりを伝えるものとして、昭和43年(1968)に旧ニッカ池(六本木六丁目)の縁に造立されたが、このたび旧ニッカ池周辺が整備されることとなり、希典所縁のこの地に移建された。 |
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<馬小屋>
馬小屋は、平屋建、日本瓦葺で、邸宅が新築された以前、明治22年(1889)に建てられた。間口約12.5m、奥行約4.5mの細長い建物には、4つに区画された馬房や、馬糧庫等がある。住居が木造であるのに対し、馬小屋が煉瓦造で立派だ。という評判のあったもので、馬をかわいがり大切にした大将の人柄が偲ばれる。
<愛馬の由来>
正馬壽号はステッセル将軍の愛用したアラビヤ産の牝馬で、明治38年(1905)1月5日出師営会見の際に乃木大将に贈らんとしたが、大将はその志を謝し直ちにこれを受け取ることは軍規の許さない事なので後日約してこれを「壽」号と名づけて戦役中乗用し凱旋後払い下げを受け自分の馬として愛用した。
大将は壽号を明治39年(1906)末に種馬として鳥取県赤崎町佐伯友文氏に贈られた。後大正4年(1915)5月同氏により島根県隠岐島村上寿夫氏に贈られ海士村渡辺淳三氏方で飼育中、大正8年(1919)5月27日に終命した。馬齢23歳でその仔馬は20余頭に及んでいる。副馬「璞」号は去勢馬で仔馬なし。 |
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<月桂樹>
明治35年(1902)頃イタリアに洋行した山口県の農学博士豊永直利氏より凱旋の際に寄贈されたもので大将お手植えの木です。
<乃木神社>
旧乃木邸の横の乃木神社・入口付近の景観です。 |