写真紀行・旅おりおり トップページへ 写真紀行・旅おりおり : 旅先で撮影した景色、建築、史跡、祭、風物等の写真と動画
 <史跡を巡る写真紀行

 印象深い景色
坂道 灯台
横丁・小路
街角 通り
温泉
 史 跡
街道 史跡
遺跡 人物
奥の細道 墓地・終焉地
Play Back 城・城跡
 建築・構造物
歴史的建造物 先端建築
神社
教会
漁港 垣根
 自 然
池・沼・湿原 海岸
 産業・交通
伝統・地場産業 バスターミナル
自動車・バイク
国内線 道風景
航空機
 四季の景色
棚田 桜紀行
春景色 夏景色
秋景色 冬景色
 歌の舞台・祭・他
歌の舞台 祭・イベント
夜景 テ−マパ−ク
趣味悠々 食紀行
日曜画家  
 管理人
管理人備忘録 四国遍路
リンク集
松下村塾 吉田松陰   山口県萩市
松下村塾
松下村塾・控えの間と土間 松下村塾・吉田松陰幽囚の旧宅
松下村塾・10畳半の講義室
 吉田松陰は安政4年(1857)実家杉家宅地内にあった小屋を改造して8畳の塾舎とし更にその翌年10畳半を増築した。これが規在松下村塾で、松陰27才の時のことである。ここで松陰が教育した間は1年であり、実家の幽囚室時代を、通算しても2年半に過ぎない。
 初め吉田松陰の叔父玉木文之進がここからほど遠くない自宅で私塾を開き、松下村塾と名付けていた。ついで外叔久保五郎左衛門がその名を継承し、師弟の教育にあたった。安政4年(1857)松陰がこれを継ぎ、幽囚室からここに移り講義を行った。
 この短い期間にこの粗末な教室から若い松下村塾グループが育ち、安政の大獄で刑死した師の志を継いで尊攘討幕運動に挺身し明治維新の原動力となつた志士の主な者は激動期に死んでいったが、生き残つた者は維新政府中枢に立って新しい日本を指導することになった。
 明治維新の先覚者吉田松陰は天保元年(1830)、萩松本村の藩士、杉百合之助(26石)の次男として生まれ、幼くして山鹿流兵学師範の家柄である吉田家(57石6斗)を継いだ。
 19歳の春、独立の師範となって藩校明倫館に多くの生徒を教えたが、21歳の秋から、学問研究のために肥前平戸に遊学して以後の数年は、江戸、水戸、東北地方、再び江戸、長崎、江戸と旅行を続け、沿道各地も視察し、また多くの学者や志士をたずねて、学事を問いまた時事を論じた。
 嘉永6年(1853)6月、アメリカ軍艦が浦賀に来航するにおよんで、松陰は海外の事情を視察、研究する必要を感じ、翌年3月、下田からアメリカの軍艦に便乗しようとしたが失敗に終わった。
 その年10月萩に送られ野山獄に入れられた。獄にあること1年余り、ついで実家杉家に謹慎を命ぜられた。松陰はこの入獄および謹慎中を勉学の好機として驚くほど多くの本を読み、自らも原稿を書き、さらに松下村塾を継承して多くの青少年を教えた。この期間は松陰の生涯の中で最も平和な時期であり、また最も輝かしい業績をのこしたときである。 
松下村塾・10畳半の講義室
松下村塾・10畳半の講義室 松下村塾・10畳半の講義室
松下村塾
 松陰の人たる所以ゆえんを学ぶ子弟同行の情念は多くの門人たちに強い感銘を与えた。高杉晋作をはじめ久坂玄瑞、入江九一、吉田稔磨、前原一誠、品川弥二郎、野村靖、山田顕義、伊藤博文、山縣有朋(以上松下村塾)木戸孝允(明倫館)など、各々よくその特徴を発揮して、明治維新の大業を翼成したことは周知のとおりである。
 ところが、安政5年(1858)、幕府が勅許を得ず外国との通商条約に調印してから、松陰の時局に関する言動は特に激しくなり、幕府は塁を藩主におよぶことをおそれて、再び野山獄に投じた。ついで幕命によって江戸に送られ、世に言う安政の大獄の難にあい、安政6年(1859)、10月27日「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留とどめ置おかまし大和魂」の辞世をのこして江戸伝馬町の獄で処刑された。
 松陰の生涯は、わずか29年余りであったが、当時のわが国の複雑な内外事情を十分見きわめながら、常に自己を見失うことなく、至誠を貫き通した生きざまは、今日においても新鮮な魅力をたたえ、人の心をゆさぶり引きつけてやまない。(松陰遺墨展示館パンフレットより引用) 
松下村塾・吉田松陰幽囚の旧宅 松下村塾・吉田松陰幽囚の旧宅
松下村塾・吉田松陰幽囚の旧宅
吉田松陰幽囚の旧宅
 この旧宅は、安政2年(1855)から数年の間、吉田松陰が幽囚された家で、東側にある3畳半の1室が幽囚室である。
 松陰は、伊豆下田でアメリカ軍艦による海外渡航に失敗し、江戸伝馬町の牢に捕らえられた。ついで、萩に送られ野山獄に入れられたが、その後、釈放され父杉百合之助預けとなり、幽囚室に謹慎し読書と著述に専念した。そして、近親者や近隣の子弟たちに孟子や武教全書を講じた。国指定史跡。
 「 親思う心にまさる親こころ今日のおとずれ何ときくらん
処刑を覚悟した松蔭が親達に書き送った便りの一首。
北海道
函館 造船所跡地 ペリー提督来航記念碑 宇須岸河野館跡
東北
角館・武家屋敷 酒田・山居倉庫 弘前・石場家住宅 秋田・旧金子家住宅 外ヶ浜・厩石
関東
東京 築地塀 佃島渡船場跡 大洗堰跡 山吹の里
お化け燈籠 処静院跡の石柱 蕃書調所跡 定火消発祥の地
銅燈籠 旧乃木邸 国学発祥の地 赤門
湯島聖堂 御鷹部屋 新暦調御用所跡 江戸城外堀跡石垣
石町時の鐘 キリシタン屋敷跡 勝・西郷の会見地 神田上水石樋の石
真砂遺蹟 神田下水 近代教育発祥の地 北町奉行所跡
鈴ヶ森刑場跡 南町奉行所跡 桜田門 日本水準原点
解体新書 高輪海岸の石垣石 一石橋迷子しらせ石標 川柳の原点new
東京(忠臣蔵) 赤穂浪士の道 吉良邸跡 浅野内匠頭邸跡
東京(見附) 赤坂見附跡 日比谷見附跡 四谷見附跡
鎌倉 東勝寺跡 日蓮上人辻説法跡 北条時房邸跡
横浜 鉄の橋 日本の新聞誕生の地 象の鼻波止場
佐倉(武家屋敷) 旧河原家住宅 旧但馬家住宅 旧武居家住宅 旧堀田邸
武家屋敷通り
水戸・弘道館 ペリー上陸地 伝 義経首洗井戸
甲信越
長野 松代藩文武学校 川中島古戦場 象山地下壕 真田邸
松本・開智学校
東海
関ヶ原合戦 家康最初陣地 関ヶ原決戦地 石田三成陣跡 島左近陣跡
名古屋 信長塀 蕉風発祥の地
浜松 米津台場跡 鈴木家住宅 犀ヶ崖古戦場 徳川秀忠誕生井戸
江戸行六義人 中村家住宅 三方ヶ原古戦場 松下屋敷
磐田 旧見付学校 遠江国分寺跡
掛川 旅籠 川坂屋 藤文 旅籠 萬屋
伊豆の国 江川邸 願成就院 韮山反射炉 北条政子誕生井戸
伊豆 旧天城トンネル 指月殿
下田 ペリー上陸地 吉田松陰寓寄処
恵那(岩村) 岩村藩校知新館 鉄砲鍛冶 加納家 伝 鴨長明塚 勝川家
浅見家 天正疎水 土佐屋 木村家
岩村本通り
美濃加茂 吉田家住宅 旧脇本陣(林家住宅)
新城・馬防柵 豊明・桶狭間古戦場 桂小五郎隠れ家址 伊賀・崇廣堂 東伊豆・畳石
高山陣屋 大旅籠 柏屋 鵜沼宿町屋館 西郷・山岡会見の地 恵那・旧三宅家
菊川・黒田家住宅 牧之原・大鐘家住宅 森町・友田家住宅
近畿
京都 寺田屋騒動址 落柿舎 御手洗井 池田屋跡
粟田口 インクライン 水路閣(琵琶湖疎水) 中院山荘跡
時雨亭跡 御土居 長坂口 閑院宮邸跡
阿国歌舞伎発祥地 翠紅館跡 京都御所 西行井戸
西行庵 神泉苑 西寺旧跡 高松殿址
二條陣屋 亀山藩京屋敷跡 応仁の乱勃発地 當道職屋敷址
高瀬川一之船入 高瀬川七之舟入址 草紙屋・八文字屋 土佐藩邸跡
化粧水 千利休居士遺蹟 不審庵 秦家住宅 野口家住宅
新選組最後の洛中屋敷 久坂玄瑞寓居跡 東三条院址 御陵衛士屯所跡
三條烏丸御所跡 将軍御成門跡 相国寺水路の石垣 輪違屋
角屋 近江屋跡 薩長同盟締結地 東本願寺・太鼓楼
百々橋の礎石 肥後藩屋敷跡 慶長天主堂跡
京都(平安宮) 大極殿跡 平安宮跡
奈良(平城宮) 朱雀門 大極殿@ 大極殿A 大極殿の屋根
井戸枠 内裏正殿 築地回廊 磚積基壇建物
遺構変遷 宮内省 東院庭園 兵部省
第一次大極殿と朝堂院 第二次大極殿 檜皮葺 羅城門
明日香 甘樫丘 高松塚古墳 飛鳥水落遺跡 石舞台古墳
大官大寺阯 川原寺跡
大山崎 天正・山崎合戦 山崎宗鑑冷泉庵跡
赤穂 近藤源八宅跡 大石頼母助屋敷門 大石邸長屋門 息継ぎ井戸
桜井・山田寺阯 朝来・井筒屋 西宮・大阪城採石場 彦根・長屋門附塀 橿原・藤原宮跡
旧西川家住宅
中国
津和野 馬場先櫓 藩校養老館 多胡家表門 大岡家老門
萩城下町 松下村塾 旧厚狭毛利家萩屋敷長屋 旧湯川家屋敷
鍵曲 旧萩藩校明倫館 菊屋家住宅 旧久保田家住宅
旧佐伯丹下家屋敷
下関 朝鮮通信使上陸淹留地 七卿史跡 奇兵隊結成の地 長州砲
壇ノ浦古戦場
松江・武家屋敷 福山・鞆七卿落遺跡 広島・頼山陽居室
四国
小豆島・池田の桟敷 三好・旧喜多家住宅 旧永井家庄屋屋敷 丸亀・塩飽勤番所跡 安芸・野村家
高知・浦戸砲台場跡 鳴門・ドイツ橋
九州
長崎 グラバー邸 亀山社中の跡 出島 居留地跡
鹿児島 仙巌園 磯御殿 医学院跡
太宰府 太宰府政庁跡 モンゴル軍船の碇 水城
ザビエル記念碑 島原・武家屋敷 知覧武家屋敷群 福岡・元寇防塁
その他
中世の京・町並み 根来寺多宝塔 江戸橋広小路 後漢書東夷伝

Copyright(c) 2002-2024 写真紀行 uchiyama.info All Rights Reserved.