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吉川家は、江戸時代には代々山師で、井筒屋を名乗って郷宿を営んできた。山師は、江戸時代の生野銀山では代官所から採掘権を与えられた銀山の経営者で、吉川家は鶴林山という山の経営者だった。
郷宿は、公用で代官所に出頭するための宿で、訴訟人に宿を提供するだけでなく、訴訟人の依頼で代官所に提出する訴状を書いたり、訴訟の手続き等を行うなど現在の弁護士の前身とも言える存在だった。
この旧吉川邸の主屋は、棟札により天保3年(1832)に建築されたことが明らかとなっている。以来長年にわたり、徳川幕府の直轄領として形成されてきた銀山町独自の生活文化を今に伝え、生野町でも数少ない貴重な歴史的建造物といえる。
生野町のまちづくりに役立てて欲しいとの意向で、平成11年(1999年)に吉川家から土地、建物等一式を生野町に寄贈いただき、生野まちづくり工房井筒屋として改修整備された。新しくなった井筒屋は、生野町のまちづくり活動の拠点施設としてだけでなく、町外から来られた方々の憩いの場として利用して頂くことができる。(旧生野町観光協会HPより引用) |
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