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<第一次大極殿と朝堂院>
大極殿と朝堂院は、平城宮の中でも最も重要な場所である。国の政策を決め、元日や節句の儀式を行い、外国の使節をもてなす宴会が行われたりした。
このとき、天皇がすわる建物が、北端の高いところにある大極殿で、臣下は南の朝堂院に並んだ。
平城宮には2つの大極殿と2つの朝堂院があった。西側のものは第一次大極殿、第一次朝堂院と呼ばれており、奈良時代前半のものである。後の発掘調査で、東側にも朝堂院が建設されていたことが分かった。平城京遷都当初から構造と機能の異なる2つの朝堂院が奈良時代を通じて並存していた。745年の還都で、第二次大極殿が東側の朝堂院の北側に建設され、朝堂院は第二次朝堂院と呼ばれるようになった。第一次朝堂院は宴会の場所になったようである。地図上の中央区朝堂院は第一次朝堂院である。 |
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