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<頭陀寺城(松下屋敷)跡>
頭陀寺(ずだじ)はかつて天竜川下流にあった広大な「川勾荘」の現地荘官として、四十六所明神(現在は津毛利神社と改称)とともに荘園の中核をなした。往時には多くの塔頭寺院をかかえ、寺院も広く、門前には市場もたった。当時の境内には戦国大名今川氏に仕えた武将
松下之綱の屋敷があり、ここ一帯は別名「頭陀寺城」とも呼ばれた。松下屋敷には、少年時代の豊臣秀吉が天文20年(1551)から3年にわたり奉公していたと記録にあり、この寺の付近には鎌研池や目刺橋など秀吉にかかわる伝承地も残っている。
なお、松下氏の一族は井伊氏とも近く、父・直親を殺された幼少の井伊直政を匿い、母の再婚相手となった松下源太郎(清景)が直政を養子として、今川氏の追ってから保護した。また、松下之綱の娘は柳生宗矩に嫁ぎ、柳生十兵衛を生んでいる。
その後、今川氏に反攻した松下氏や飯尾氏らとの攻防で、永禄7年(1654)頭陀寺は炎上してしまったが、後年、縁のあった 豊臣秀吉、徳川家康の寄進により復興した。
2段目右画像は、左から順に浜松にかかわる豊臣秀吉(藤吉郎)、徳川家康、井伊直政(初代彦根藩主)の像です。戦国時代を代表する有名武将で、いずれもこの頭陀寺に縁のある人です。 |
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松下屋敷は、戦国時代の国人領主、松下氏が居を構えた場所で別名、「頭陀寺(ずだじ)城」と呼ばれている。屋敷の敷地は100m四方ほどあった。この屋敷の主であった松下之綱(ゆきつな)には、織田信長に仕える前の豊臣秀吉が奉公したと伝わる。松下氏は、浜松城主(当時は引馬(ひくま)城といった)飯尾氏に仕え、飯尾氏は戦国大名今川氏の家来だった。
浜松市は、2001年と2015年に発掘調査を行い、礎石建物や庭園の池、屋敷を囲む土塁や堀などを確認し、豊富な遺物が出土した。これらの発掘調査結果によって、当地には伝承どおり、戦国時代の居館が地中に埋もれていることが明らかになった。
なお、幼少期の井伊直政(虎松)は松下氏の一門である松下清景の養子となり、徳川家康への謁見がかなった。 秀吉は後年、松下氏を久野(くの)城(現・静岡県袋井市)で大名に取り立てている。 |
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