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この地は、江戸時代前期(17世紀後半)には「麩屋町誓願寺下ル町」といい、八文字屋という本屋の店舗があったところです。
当時の本屋は、典籍・草紙類の版元(発行者)でした。印刷(木版刷り)と製本(和綴じ)、そして、販売をも業とする出版物発行の総責任者だった。
日本の出版業は、江戸時代の初め頃に京都で始まり、江戸、大坂でも盛んになっていくが、明治の時代になるまでは、京都が出版において日本第一の都市であった。
江戸時代初期の京都では、仏書・儒書・漢詩文書・和学書・和歌書・医書・さらに俳諧書・教科書・遊芸書などが出版されていたが、江戸中期頃になると、一般庶民を読者にした劇書や噺本などの出版も盛んになってくる。
八文字屋では二代目・自笑(通称、八左衛門)の代となると、歌舞伎芝居の筋書きを読み物にした「絵入狂言本」や、「役者評判記」という当時の歌舞伎役者の評判を、毎年、新版で発行し、劇書では第一の版元になる。これに加えて、江島其碩の「けいせい色三昧線」や「傾成禁短気」などの「浮世草子」という大衆小説本を、詠みやすい文字と著名な浮世絵師の挿絵入りで出版して、ベストセラーとなり、文学史上「八文字屋本」と呼ばれる時代を築いた。その小説作法は江戸後期(18世紀後半頃)の小説本や、明治時代の小説などにも大きな影響を与えた。 |
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