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旧佐伯丹下家屋敷は、幕末安政年間(1854〜59)び描かれた「萩城下町絵図」によると、萩藩大組士佐伯丹下(125石)の屋敷であったことがわかる。
佐伯丹下は、幕末期、直目付や撫育方仕組掛、奥番頭役など藩の要職を歴任、多年藩の財政整理や岩国吉川家との交渉に尽力した。明治5年(1872)65歳で没するまで、この家が本拠であった。
その後、安富五三郎(通称:伊勢屋)の所有になり、親戚の久原房之助が衆議院議員に立候補の時には選挙事務所になったこともある。戦時中は九州大学名誉教授の永積純次郎が住み、戦後は萩中学校長の河内才三や、第六高等学校(現岡山大学)校長の金子幹太などが住んでいた。
屋敷は昔の状態がよく保たれており、映画のロケにも使われたことがある。
「直目付(じきめつけ)」…藩士の職務等を監察する役。
「撫育方(ぶいくがた)」…藩の別途会計を管理する役所。
「奥番頭役(おくばんがしらやく)」…藩主の側に仕え殿中の諸事一切を統括する役。 |
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