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国分寺は今から1250年前の奈良時代(西暦741年)に、聖武天皇の命令によって日本国内60数ヶ所に建てられた。仏教文化を代表する寺院です。僧寺と尼寺が一対となって建てられた。
このなかで遠江国分寺は、往時の偉容を偲ぶことができる数少ない寺院跡のひとつです。昭和26年(1951)に全国の国分寺調査に先がけて発掘調査が行われ、昭和27年(1952)に国の特別史跡(国宝と同格)に指定された。この結果、遠江国分寺の中心となる箇所には南より南大門、中門、金堂、講堂が一列に並び、金堂と中門を方形にめぐる回廊の西外側に塔があることもわかった。
昭和43年(1968)〜45年(1970)かけて整備がなされ、往時の建物の基壇などが復元された。近年、これらの建物をとりかこんで東西180m、南北253mの範囲に築垣がめぐらされたいた。 |
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<南大門跡>
南大門は中門から約17.4mほど南に位置している。この付近は開墾により、基壇まで破壊されているため規模は不明。
瓦が特に多く出土することから、南大門の位置と推定する。 |
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<中門跡>
中門は金堂から54mほど南に位置している。
○基壇:間口16.5m、奥行10.8mの規模と推定される。基壇の上に中門が建てられていたが、門の大きさや構造は不明である。 |
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<金堂及び石段跡>
○基壇:間口33.6m、奥行21.3m、高さ50pの規模を測り金堂の基礎となる。
○金堂:礎石及び根石から間口27.6m、奥行14.4mの重層入母屋瓦葺きであったと推定される。本尊を安置した主要な仏殿。
○石段:正面中央に幅4.5mで七段のうち三段が残されていたが、今は埋戻してある。 |
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<講堂跡>
○基壇:間口29.4m、奥行18.3mの基壇が築かれているが、規模は未調査のため不明である。
○堂舎・僧坊・経蔵・食堂・政所・鐘楼:講堂に多くの建物があったと推定されるが、未調査のため不明である。 |
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<回廊跡>
金堂と中門の間に方形に回廊がめぐっている。
○規模:回廊の規模は、東西49.8m、南北54mあり、その幅は7.8mある。
○礎石:金堂西側に残されている礎石から回廊を復元すれば、中柱に壁をぬって境とした複廊と推定される。特に貴重な遺構である。 |
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<塔跡>
○中心礎石:径2mほどの自然石に、1.7mの円形柱座が刻まれている。
○隅柱礎石:径1.5mほどの自然石が今も東南に残る。
○基壇:15m四方の基壇の上に、高さ66mに及ぶ七重塔が立ち、紫紙金字の「金光明最勝王経十巻」が納められていたと推定される。 |
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<築地塀跡>
国分寺の西境を表すもので、昭和の初め頃には南北270m、幅3m、高さ1mの土塁状の高まりがあったと記録されている。南は南大門付近まで続いていたものと推定される。
調査によれば、土塁状の高まりの西に塀があり、中から瓦が多く出土していることから築地塀であったと考えられる。現在は塔から17mほど西に幅2.5mで復元してある。 |
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<遠江国分寺跡> 特別史跡
○調査:昭和26年(1951)に発掘調査され、金堂・講堂・塔・中門・回廊・南大門・土塁跡(後に築地塀と判明)の位置及び規模が明らかになった。しかし、まだ多くの未調査の部分が残されている。
○指定:大正12年(1923)に史跡の指定を受け、昭和27年(1952)に特別史跡の指定を受けている。
○環境整備事業:昭和43年度(1968)から遺構の保護を目的とした環境整備事業を実施し、45年度に完成した。 |