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犀ヶ崖古戦場は、元亀3年(1572)12月22日、徳川家康と武田信玄が三方ヶ原で戦った。徳川家康はこの戦いに負け、浜松城に逃げ帰った。その夜、徳川方が犀ヶ崖付近夜営していた武田方を急襲し、地理に暗い武田方をこの崖に追い落とした。武田方はここで多くの人馬を失ったと伝えられている。当時の犀ヶ崖は、東西約2q、幅約50m、両崖は絶壁で、その深さは約40mに及んでいたと伝えられている。県指定史跡の現況は、長さ約116m、幅約29m〜34m、深さ約13mである。
また、崖の上には宗円堂があり、ここには両軍戦死者の霊がまつられ、その慰霊のため創始されたといわれる遠州大念仏の道場となっていたが、現在は、犀ヶ崖資料館として遠州大念仏の資料が展示されている。
最下段の画像の木々の下は、深い崖になっており、ここに武田軍の兵士が追い込まれ命を落としていったのかと胸が痛くなる。故郷には父母や妻子がいたことだろう。 |
<武田軍の食糧>
主食 |
○短期 焼き米・もち ○長期 精米5合(赤米)干し飯、ごへいもち |
調味料 |
みそ2合(陣場みそ(信玄考案の一夜みそ)切り傷・しっ布)塩1合 |
保存食 |
いもがら、丸薬(うなぎ・梅干し他) |
飲み物 |
焼酎、どぶろく、果実酒(催眠・防寒・疲労回復) |
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