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<石田三成陣跡>
ここ笹尾山一帯の石田隊6000余は、正面に竹矢来の柵を二重に配置し、前衛隊長の島左近らの指揮のもと、すさまじい死闘を展開した。小早川らの裏切りは、戦況を一変させ、西軍の実戦兵力は3万5千前後に激減し、西軍の配色濃厚となるや、最早これまでと三成は北国街道沿いに敗退していった。
<関ヶ原古戦場ー笹尾山ー>
1600年9月15日、日本列島のほぼ中央、東西交通の要に位置するここ関ヶ原において、天下分け目の戦いが繰り広げられた。天下の覇権を東軍・徳川家康と、家康の野望を阻止せんとする西軍・石田三成の雌雄を決する関ヶ原の戦いは、この関ヶ原盆地において東西両軍あわせて約15万人の将兵の激突となった。笹尾山は西軍の総大将・石田三成が本陣を構えたところです。
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矢来とは、竹や丸太を粗く組んで作った臨時の囲いのことです。すき間が四角になったものを角矢来といい、菱形になったものは菱矢来という。これは敵の進入を防ぐのに利用したもので、三成は正面にこの柵を二重にめぐらし、嶋と蒲生の二隊を前面と中間に配し、自分自身は警護の兵と山頂に陣取った。 |
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