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<京七口の一つ長坂口>
寛永年間から明治初年までは道筋を挟んで東側は、東西80間南北70間の広大な薬草園を開いていたご典医であった藤林氏が管理経営しており幕府に納めていた。現在の藤林町がその町名を残している。辛味大根、朝鮮人参、唐辛子、茶、薬草の他太葱、丸大根、鹿ケ谷南瓜など赤土でできた野菜なども作られていたのであった。
通りの西側には道筋に沿って米屋、木屋、鍛冶屋、絹屋など様々な商家が軒を連ねていた。お土居より北は洛外芸術村であった本阿弥家が幕府に返上してから間口の広い屋敷には京や丹波からの商家が移り住む様になり材木問屋、薪炭問屋、米屋、たばこ問屋等々が営まれていた。船の着かない港と云われていた一時期もあった。 |
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明治23年(1890)に初めて牛馬車が通る道が付けられたが、丹波や美山の人達が旧長坂道にくらべ新道は曲がりくねった坂道であったため牛馬車の往来には、十分に活用されなかった。
10年後には周山から細野笠峠を越え、小野郷〜中川〜高雄、福王寺(国道162号)へ自動車が通る道が出来たのをきっかけで鷹峯の商家も千本通りや中立売通北野下ノ森へと移り変わっていき鷹峯村の繁栄は終わってしまった。 |
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<辛味大根>
わさびのように辛い。昔から10月は神無月、11月1日は氏神に詣でる習慣があった。地元はもとより西陣の氏子たちは今宮神社へ参拝した。その時に門前で「病除け」にと売られていた小さな丸大根である。直径3〜5pで、おろしにしてそばや餅にかけて食すと美味。11月から2月まで収穫期。
京の伝統野菜で近在の農家が品種保存の指定を受け継いでいる。今から300年程前から栽培された幕府の薬草園がこの辺りである。 |