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土佐屋の主屋は、今から200年以上前(安永9年(1780)頃)に建築されたものである。土間ミセの商家(職人)形式の町屋であり、通り土間・一列三間型で、通り土間がやや広めに造られていることを除けば、当時の町屋の典型的な間取りと言える。
当時、表の土間には染壺が据えられ、職人が生糸や布を染めていたものである。表の土間の天井が真っ黒に煤けているのは、染料を温めるために火を焚いていた名残である。 |
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江戸時代には、染屋を紺屋と呼んだように、紺染めが多く、原料は藍(下左画像は藍の花)で、藍甕(あいかめ)に糸や布を何度も入れて染め上げた。 |
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<土佐屋の沿革>
現在、土佐屋のある本町4丁目は、江戸時代には下町と呼ばれていたところである。土佐屋は、本町通り北側の細小路と下横丁のほぼ中間辺りに位置している。
明和年間(1764〜71)の「屋敷町屋分間図」に「伊左衛門(六代・寛政6年没)と記されている宅地が該当し、現在の位置と合致する。
また、天保12年(1841)の「町方家並帳)には、「土佐屋仙蔵(八代・嘉永5年没)と記され、間口が4間3尺となっており、現在の間口4間半と合致している。
これら江戸時代の資料により、伝承通り、元禄年間にこの地に定住したことに間違いないものと考えられる。
建保年間(1213〜18)に遠山庄で客死した鴨長明が寓居したと伝えられる旧家である。系譜が明らかになるのは明暦年間からで、同3年(1657)没の河合又右衛門を始祖としている。元禄年間に領家より本町通りの現在地に移住し、四代伊左衛門(元文元年没)の時代から染物業を営んだと伝えられる。 |
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