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<旧江戸城 外桜田門>
現在この門は桜田門と呼ばれるが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してこの名が付けられた。古くこの辺りを桜田郷と呼んでいたことに由来する。
外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造からなり、外桝形という防御性の高い城門で、西の丸防備のため異例の大きさで造られた(320坪)。建築されたのは寛永年間(1624〜44)とされ、現存する門は寛文3年(1663)に再建された門がもとになっている。大正12年(1923)の関東大震災で破損し、復元された。
万延元年(1860)3月3日、この門外で大老井伊直弼が水戸藩脱藩士に暗殺された(桜田門外の変)。屋敷から登城中に水戸浪士に襲撃された。 |
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ここは、江戸の主要道が通過する場所で、徳川家康が入国直後の絵図には「小田原口」と記載されている。門周辺の石垣には、慶長19年(1614)真壁藩(現在の茨城県)藩主浅野長重によって築かれ、寛永年間(1624〜1644)に門が建築された。門の周辺には外様大名の屋敷が多くあった。国指定重要文化財。 |
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