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幕末期の伊豆の代官江川太郎左衛門英龍は、大砲の鋳造のため反射炉を築造した。反射炉とは、銑鉄を溶かし大砲を鋳造する炉のことで、この反射炉は佐賀藩に次いで築造されたもの。ほぼ完全な形で現存する反射炉として残されているものはここだけです。
韮山反射炉は安政元年(1854)に起工、南側の2基が完成し、安政2年(1855)に 北側の2基を築造、安政4年に全部が完成した。以来元治元年(1864)に至るまで、ここで大小の大砲が鋳造された。主として江戸湾防備のための品川台場の大砲がここで製造されたのである。
良質の耐火レンガと共にその精巧さは今日の溶鉱炉にも匹敵するといわれている。国指定史跡になっている。 |
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