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黒田家は代々武家で永禄年間(1558)現在地に移り江戸時代には四千石の旗本、本多日向守の代官であったという。屋敷は正面に大規模な長屋門を構えて周囲には濠をめぐらして城郭の面影を残し、広さは1ha程ある。
長屋門は礎石の墨書から18世紀中ごろの建築と見られ、寄棟造茅葺で桁行68尺(21m)の大規模の門である。安政被災前の屋敷構を示す古図(嘉永3年記銘)から判断すると、扉口西方の3室のうち西端室は文久の主屋再建時に半間(0.9m)通り拡張されて全面的に改築されたことがわかるが、大規模で質の良い長屋門である。この門は昭和50年、51年度文化庁の補助事業により全面解体修理工事を施し修理されたものである。 |
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現在の主屋は安政の大地震後に再建されたもので文久年間(1861)記銘の家相図が残されており、これとよく一致するのでこのころ竣功したものであろう。
構造は床上部において棟通りをはさんで四尺巾(1.2m)二列に柱を立てそれらの柱列から前後各二間半(4.5m)を上屋とし、四周に一間巾(1.8m)の下屋をまわしている。小屋組は和小屋で寄棟造桟瓦葺として下屋部分は一段低く屋根をかける。背面下屋のうち「つし」のある二間(3.6m)分は更に一段下げて明り取りの窓を開いている。
この住宅は柱梁及び指物など太い木割りであり代官の住宅にふさわしく良質で仕上げもていねいである。建築年代は下るが明らかであり、改造が少なく保存が良い点など重要な遺構である。国指定重要文化財(建造物) |
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米蔵東蔵。昔の農具が保存されている。(説明は、現地解説文より引用) |