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箱館の港は、遠浅のため幕府は港の大規模な改良工事を行った。この時 高田屋嘉兵衛は幕府の工事の隣に自らも工事を行い、最初の造船所を設立した。この造船所で大型船などの造船事業を展開したのである。この地が北海道における造船所発祥の地である由縁である。
<高田屋嘉兵衛>
江戸末期の豪商、回漕業者、高田屋嘉兵衛は明和6年(1769)淡路島に生まれた。28歳のとき、北前船「辰悦丸」で箱館(函館)に来航、以後、箱館を本拠地として北洋漁業の開拓、本州各地との交易の発展に尽力した。幕府はその功績を認め寛政12年(1800)嘉兵衛に苗字帯刀を許した。当時の寒村箱館が港として発展できたのは嘉兵衛の力によるところが大きい。
更に嘉兵衛は、いわゆるゴローニン事件解決の立役者であった。1812年ロシアの海軍将官ゴローニンが北方領土侵犯の疑いにより捕らえられたとき、ロシアは報復としてエトロフ島回航中の嘉兵衛を捕らえ投獄した。嘉兵衛は少しも臆せず、国土劫掠の非を難じ、両国融和の道を説いた。ロシアは嘉兵衛の勇気に感服し謝罪した。嘉兵衛は箱館奉行に懇請しゴローニンを釈放させ、以後両国の平和友好が促進された。幕府は円満解決の功績を称え賞詞を与えた。
文政10年(1827)波乱とロマンにみちた59歳の生涯を閉じた。 |
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<北前船の碇>
函館港外の上磯沖は格好の帆待(投錨)の場所であった。突然の強風を綱を切って捨てたものと思われる。約二百年前のもので昭和61年(1986)10月に引き揚げられた。爪は4本である。 |
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