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『道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。
私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり、湯ヶ島温泉に二夜泊まり、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見とれながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。そのうちに大粒の雨が私を打ち始めた。折れ曲がった急な坂道を駆け登った。ようやく峠の北口の茶屋にたどり着いてほっとすると同時に、私はその入口で立ちすくんでしまった。あまりに期待がみごとに的中したからである。そこに旅芸人の一行が休んでいたのだ。』(伊豆の踊子の書き出しの部分)
この旧天城トンネル(天城山隧道)は下田街道の改良工事の一環として、明治34年(1901)に貫通、明治年37年に完成した。全長445.5m、幅員4.1m、トンネル両端の抗門及び内部全体が切石積で造られ、川端康成の小説「伊豆の踊子」をはじめ多くの文学作品に登場するトンネルとして広く親しまれている。
平成13年6月15日、わが国に現存する石造道路隧道の中で、最大長を有する土木構造物で、技術的完成度が高く、明治後期を代表する隧道であるとして、道路隧道としては全国で初めて重要文化財に指定された。この他、「日本の道100選」、「登録有形文化財」にも指定されている。
天城路をトンネル方向へ歩いていくと途中に川端康成のレリーフと伊豆の踊子の書き出し部分の碑(右下画像)がある。紅葉深まる時期に歩くと素晴らしい道である。
<切り石巻工法>
工事は石巻といって、石を積み上げていく工法で施工された。石は大仁町吉田地区の吉田石が使われている。 |
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