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第一次世界大戦当時、近隣の坂東俘虜収容所で捕虜生活を過ごしたドイツ兵士が地域との自由な交流の中で地元への感謝の気持ちを込め、母国の優れた土木技術を生かし、大正6年(1917)から大正8年(1919)6月までに10の橋を造った。
木橋が6橋、石橋が4橋で、現存するドイツ橋は同8年6月に神社境内の丸山公園に造った最後の石橋である。今では日独両国の友情の架け橋とされている。
県の史跡(平成16年1月)に指定されている。全長9m、全横2.1mートル、高さ3.2m、撫養石(和泉砂岩)製、総重量約195トンの石積アーチ橋。(徳島県指定史跡) |
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第1次世界大戦の際、中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人が、大正6年から9年までの間、大麻町桧の坂東捕虜収容所の収容されていた。この間地元住民との間に“国境を越えた人間愛と友情”がめばえ、高い水準のドイツ文化が伝えられた。
バターやチーズの製法、展覧会の開催、楽団による演奏会等、地元の発展に大きく貢献しました。帰国を前に記念として母国の土木技術を生かし近くで採れる和泉砂岩を使ってドイツ橋が造られた。(画像提供:
T.I さん) |
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