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この辺り(雑司が谷霊園)には、江戸時代中期の享保4年(1719)以降、幕府の御鷹部屋があった。御鷹部屋には、鷹匠頭をはじめ目付、同心など常時7、80名がおり、鷹狩りに用いる鷹の飼育や訓練などを行っていた。
また、鷹狩りの際には、将軍が立ち寄って休息したり、食事をとったりしたしたこともあったようです。御鷹部屋敷地内には松の木があった。この松の木は当時の様子をしのばせてくれる。 |
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<御鷹方御組屋敷道>
この道は明和9年(1772)『武蔵国豊島郡雑司谷村絵図』によれば御鷹方御組屋敷道(おたかがたおくみやしきどう)と記されており雑司ヶ谷霊園西側約九千坪の敷地に徳川8代将軍吉宗が鷹狩りのための鷹の飼育調練に用いた御鷹部屋があったことと、その北方400mに鷹匠や同心などの住まう約一万五千坪の組屋敷があったことに由来する。 |
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